
院長ってどんな人?







私が院長に就くまでのエピソードをご紹介します。
幼少期から小学校中学年くらいまでは、今とは想像できないくらい、おしゃべりで、落ち着きがなく、目立ちたがり屋でした。声も大きくてよく怒られていました。
小学生のときは、姉の影響で柔道を習っていました。当時はガリガリで柔道に向かない身体。柔道も上手ではありませんでしたが、6年間続けることができ、武士道精神を学びました。
また、小学校6年生の時には児童会長を務めました。高学年になると目立つのが嫌になり児童会長もなりたくなかったのですが「児童会をやっていると中学の時にアメリカにホームステイに行ける」と聞いて少し邪な気持ちでなりました。
ちなみに、私が中学に入ったときにその制度がなくなり、結局アメリカには行けませんでした。

中高生はサッカー一筋で、一日中サッカー漬け。サッカーがすべてでした。
学生時代はキャプテンを務め、当時の監督から多くのことを学びました。
加えて、中学校の生徒会長も務めることに。私は断固拒否していたのですが、候補者応募締め切り当日にサッカー部の監督に呼び出され立候補するようにと説得されて、泣く泣く生徒会長をやることになりました。
また、この頃に“国境なき医師団”の活動をテレビで見て、自分もアフリカに行き病気で困っている人を助けたいと思い、医師を志すようになりました。
高校からは親元を離れ、盛岡へ。マンションで一人暮らしをして、いろいろな人との出会いがあり、いろいろなものの見方、考え方を学び、とても刺激を受けた時期だったと思います。また、一番楽しい時期であったと思います。
大学受験の際に、医師を目指すには実力が足りないと感じ、同じ医療関係である歯科医師へ進路変更しました。父も歯科医師でしたし、私が目指した岩手医科大学では6年次の成績優秀者は医学部へ編入ができたので、歯科医師と医師のダブルライセンスをひそかに目指しました。

中高に続いてサッカーを続けていましたが、新しくスノーボードにハマった大学時代。冬の週末は欠かさず行くほど。
その後医学部への編入を考えていた大学5年生の頃。臨床実習で歯科の魅力に取りつかれ、医師への未練がなくなり、歯科医師として生きていこうと強く思うようになりました。そこで卒後は義歯の大学院に行こうと決意。
そして、研修医の終了直前に起きた、東日本大震災。これを機に自分の未熟さを実感し、研鑽を積むモチベーションとなりました。

長く山本歯科医院にて診療をしてきましたが、医院設立40周年の2024年に院長を継承致しました。40周年のタイミングでの院長継承は偶然でしたが、これもなにかの縁かなと思っております。
幸いなことに多くの患者さんに来ていただいております。これからも、長く来ていただけると幸いです。

東日本大震災で被災した当院は、仮設診療所での診療を続けたのち、現在の位置に本設しました。
医院の設計に携わらせていただき、木のぬくもりを感じる温かみのある医院の設計にしました。
医院の雰囲気と同じように、スタッフもみんな優しく温かみのある人たちです。